築城年代は定かではないが朝比奈氏によって築かれた。 朝比奈氏は藤原氏の末裔とされ平安時代末期に国俊が駿河国志太郡朝比奈郷に住んで朝比奈氏を名乗ったことに始まるとされる。その後鎌倉御家人となって弘安7年(1284年)朝比奈郷の地頭職に任ぜられ代々朝比奈郷を領した。
室町時代には駿河国守護今川氏の重臣となって多くの庶流を輩出している。
朝比奈城は朝比奈川に野田沢川が合流する地点の北方にある北から南へ張り出した山塊に築かれている。
朝比奈城は頂部から南へ張り出した尾根に広く削平された曲輪があり、北側には土塁と空堀が設けられている。現在はここに標柱が建てられている。
ここから喜平沢を隔てて東側にある東に延びた尾根にも城郭遺構があり、ここは北東の尾根に堀切を三条設けて遮断し東に向かって曲輪を連ねている。こちらは尾根自体がそれほど広くないために曲輪もそれほど広くはないが、より山城らしい遺構が残る。
それほど遅い時間に山に入ったつもりはないのですが、降雨のために写真が暗くなってしまいました。
県道209号線沿いにある道の駅「玉露の里」を目指す。道の駅の南側にある県道沿いにハイキング用の案内図があり、隣の万年寺から遊歩道がある。