築城年代は定かではないが矢沢氏によって築かれたと云われる。
戦国時代には真田頼昌の三男で幸隆の弟である頼綱(はじめ綱頼)が矢沢家の養子となって家督を継いでいる。矢沢氏は武田氏に従い、やがて真田昌幸が真田家の家督を継ぐ頃になると真田氏を補佐し、やがてその重臣となっていく。
天正11年(1583年)矢沢頼綱は真田昌幸から沼田城代に任ぜられ、北条氏から沼田領を守り抜いた。頼綱の子頼幸は真田信幸が沼田へ入部するとこれに仕え、上野国猿ヶ京城代となっている。
矢沢城は矢沢集落の東に聳える標高662m程の山に築かれており、現在は公園として整備されている。
南東に向かって伸びた尾根上に曲輪を配し、尾根背後を二条の堀切で遮断している。南端から西の山腹に数段の帯曲輪を配している。
西下の道路沿いに公園入口があり案内板がある。ただ駐車できるスペースはない。
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