築城年代は定かではない。伝承によれば真田信綱の居館とされる。 真田氏累代の居館と考えられており、天正11年(1583年)真田昌幸が上田城を築いて居城を移すまでの居館であった。
昌幸が上田城に移ったあとに屋敷跡に勧請したのが皇太神社と伝えられる。
真田館は現在御屋敷公園として整備されている。 館は大沢川沿いに緩やかに西へ下る緩斜面に築かれており、四辺約520mの規模で台形である。
全周を土塁が巡り、南に大手、北に搦手、南東隅も入隅となって小さな開口部がある。>南の大手は特に内側に屈折した内桝状の虎口で、開口部は石積になっている。北の搦手は平入であるが、外側は大沢川を天然の濠としている。北西隅に「厩(うまや)」と呼ばれる方形に区画された小郭がある。
少し北東へ離れた所に長谷寺(地図)があり、そこに真田幸隆・昌幸の墓がある。
国道144号線荒井交差点から県道35号線に曲がり、道なりに進めば道標が出ている。真田氏歴史館が併設されており、駐車場がある。
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