詳細不明。応仁2年(1468年)村上氏が海野氏の千葉城(せんば)を攻めていることが「諏訪御符礼之古書」に記されており、この「千葉城」が洗馬城ではないかと考えられている。
洗馬城は傍陽小学校の北西に聳える標高800m程の山に築かれている。 現在は遊歩道が整備されている。
洗馬城は山頂の主郭から南へ伸びた尾根に曲輪を配している。主郭は南北に長く西側に土塁が付く。主郭の北西下は自然の谷を利用した大堀切になっており、さらに北西に伸びた尾根も三条の浅い堀切で遮断している。
主郭から南へ伸びた尾根には馬蹄形の曲輪が段々と連なるが、途中に堀切があり、そこから東側山腹には深く長い竪堀が伸びている。
県道35号線沿いに誉田足玉神社があり、この辺りに駐車できる。そこから傍陽小学校の方に歩いて行くと登山道入口の道標が出ている。(地図)
最寄り駅(直線距離)