築城年代は定かではないが建仁年間(1201年〜1204年)頃に山川重光によって築かれたと云われる。 山川氏(山河とも)は結城朝光の四男重光が山川荘の地頭となって山川館を構え、山川氏を名乗ったことに始まる。
永禄8年(1565年)14代山川駿河守氏重が綾戸城へ居城を移すまで続き、その後も代官を置いて維持したという。
関ヶ原合戦の後に結城秀康が越前国福井へ転封となると、山川氏もそれに従って福井へ移った。その後は天領となり代官所が置かれたという。
東持寺の境内が館跡で、その周囲には土塁と濠が巡り残存具合は良好である。規模は南北172m東西134m程で、南の参道が大手と考えられ、そこから南へ伸びる道が馬場だという。