築城年代は定かではないが南北朝時代に藤原実寛によって築かれたと云われる。 実寛は北畠親房に呼応して南朝方として挙兵した。
暦応2年・延元4年(1339年)足利尊氏は高師冬を派遣し、駒館を攻めたてたが落城しなかった。しかし、暦応3年・興国元年(1340年)高師冬の夜襲によって駒館は落城し、実寛は捕えられた。
城は鬼怒川の東岸に築かれ、県道233号線が鬼怒川に架かる橋は「駒城橋」と名付けられている。
この県道の一本北側の道路沿いに駒城跡があり、石碑と案内板が建てられている。
遺構は土塁と空堀がわずかに残されている程度である。