築城年代は定かではないが寿永年間(1182年〜1184年)に阿曽沼広綱によって築かれた。 阿曽沼(阿蘇沼とも書く)氏は足利有綱の子広綱が下野国阿蘇沼郡佐野荘阿曽沼郷に居住して阿曽沼氏を名乗ったことに始まる。
広綱は源頼朝に属して寿永2年・治承7年(1183年)の野木宮合戦や文治5年(1189年)の奥羽平定に功績があり、陸奥国遠野保の地頭職を得て陸奥国横田城を居城とし、子親綱は承久の乱の功によって安芸国荒山荘の地頭職を得て安芸国鳥籠山城を居城とした。
南北朝時代の文和年間(1352年〜1356年)の頃になると、小山氏政の台頭により阿曽沼郷を横領され、阿曽沼氏は没落したという。
現在城址には浅沼八幡宮が祀られている。 城と呼ばれているが方形を基本とした館であったといわれ、八幡宮の奥に有刺鉄線で囲まれた堀跡が残っている。