志摩 和具城しま わぐじょう

城郭放浪記


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志摩 和具城の写真
掲載写真数
形態
丘城(20m/20m)
別 名
なし
文化財指定
なし/不明
遺 構
土塁
城 主
青山氏
歴 史

築城年代は定かではない。 志摩十三地頭の一人青山豊前守(和具豊前守)の居城である。

志摩国は志摩十三地頭と呼ばれる小豪族が盟約を結んで治めていたが、永禄11年(1568年)九鬼嘉隆は織田信長を後ろ盾として志摩の平定に乗り出し、小浜城主小浜久太郎、浦城主浦豊後守を攻め落とすと周囲の地頭は戦わずして九鬼氏に降った。しかし、和具城主青山豊前守は近隣の越賀城主越賀隼人・的矢城主的矢治郎左衛門・甲賀城主甲賀雅乗と結んで九鬼氏に対抗した。戦いは三年に渡ったが次第に疲弊し九鬼氏の軍門に降った。

青山豊前守は朝鮮の役で九鬼水軍の一将として武功を立て名を馳せた。

関ヶ原合戦で九鬼氏は当主九鬼守隆が東軍に属して西軍の桑名城を守る氏家純利を討ち取るなど戦功を挙げたが、父九鬼嘉隆は西軍に属して鳥羽城を奪取し立て籠った。関ヶ原合戦で西軍が敗れると嘉隆は鳥羽城を脱して和具の洞仙庵に入った。守隆は徳川家康に父嘉隆の助命を嘆願して許されたが、この使者が到着する前に嘉隆は自害して果てた。これは豊田五郎右衛門が守隆の許しを得ずに青山豊前守を使者として嘉隆につかわし自害を進めたためという。

説 明

和具城は和具漁港の東にある丘陵に築かれている。城山の名が残るが周囲には民家が建ち並んでいる。頂部に畑となった平地があり、東西に土塁が残るのみである。

案 内
最寄り駅(直線距離)
6.1km 賢島駅
7.2km 志摩神明駅
8.5km 鵜方駅
8.9km 志摩横山駅
所在地/地図
三重県志摩市志摩町和具字城山
付近の城(直線距離)
1.3km 志摩 越賀城
6.0km 志摩 船越城
7.3km 志摩 里中城
8.7km 志摩 波切城
8.8km 志摩 鵜方城
最終訪問日
2009年10月
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