志摩 浦城しま うらじょう
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築城年代は定かではない。
志摩十三地頭の一人浦豊後の居城という。永禄年間に九鬼嘉隆によって攻められ落城、浦豊後は自刃したという。
浦城主として和田大学助という人物がおり、同一人物という説などもあるが、浦豊後の後に和田大学助が城主となり、九鬼嘉隆に攻め滅ぼされたのはこの和田大学助ともいわれる。
浦城は生浦湾の西岸、麻生の浦大橋の南の丘陵に築かれている。
丘陵頂部は南北二段でともに畑となっている。北側には土塁と石積が残っているようである。