築城年代は定かではないが永正年間(1504〜1521年)頃に橘忠宗によって築かれたと云われる。
永正年間(1504〜1521年)忠宗は伊勢国司北畠材親に属して志摩の二郡を領し鳥羽殿と呼ばれ、取手山砦を築いて鳥羽城より移った。往来する船から関銭を徴発していたという。忠宗は志摩十三地頭の一人。
取手山砦は鳥羽駅の南にある日和山の山頂から南東に張り出した標高50mの丘陵頂部に築かれている。「三重の中世城館」ではこの日和山に取手山砦と高城城があったとされ、この遺構のある所は高城城として記載されているのだが、案内板には取手山とあるので取手山砦として紹介する。前記の資料では取手山砦は北東に伸びた尾根の先端部分と思われるが、台風の影響によって倒木が激しく行くことができなかった。
切岸加工された頂部の曲輪と北東の尾根に一郭ある。この間は堀切があったと思われ、遊歩道の橋が架けられている。
鳥羽駅の南口から日和山に通じる遊歩道がある。台風の影響で倒木があるが山頂までは問題無く登ることができる。
最寄り駅(直線距離)