志摩 甲賀城しま こうかじょう
△トップに戻る
築城年代は定かではないが武田左馬介によって築かれたと云われる。志摩十三地頭の一人。
三国地誌によれば甲斐の武田信玄によって追放された父信虎が、この地へ逃れて来て領民に恩を受けたので、これに謝して武田の名を村民に与えたと云う。
武田左馬介と甲賀左馬介は同一人物と考えられており、文禄の役の時には九鬼大隅守に仕えていた。
甲賀城は「崎の城」と呼ばれる海へ突き出した半島に築かれていた。 半島は長年の波浪によって削り取られ遺構は消滅した。