築城年代は定かではないが三浦氏によって築かれたと云われる。 三浦氏は伊豆国三浦氏の一族で、伝承によれば鎌倉時代後期に三浦一族が滅ぼされた際にうつろ船に乗せられて国府海岸に流れ着き、土着して城主となったという。
室町時代北畠氏の家臣として二千石を領した三浦新助が城主で志摩十三地頭の一人、永禄年間(1558年〜1570年)九鬼嘉隆によって攻められ落城、新助は九鬼氏の家臣になるのを拒み飛騨国へ逃れたとも伝えられているが消息不明となった。
国府城は南へ張り出した丘陵御天主山の先端部分に築かれている。
単郭で周囲に低い土塁が巡らされている。この脇には三浦氏が崇拝したという稲荷大明神が祀られている。南下にも畑となった平坦地がある。
県道514号線を北上し国府小学校を過ぎて400m程走ると左側の山に赤い鳥居が見える。この上が城址。
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