摂津 稲田城せっつ いなだじょう
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詳細不明。城主は中川氏で中川佐渡守重清のときに荒木村重に降った。重清の子が茨木城主となった中川清秀という。
稲田城は熊野神社の東に南北に走った県道356号線の辺りが代官屋敷とよばれ、一辺100mを超える規模の方形居館で、ほぼ中央を南北に貫通している。遺構は圃場整備によって消滅しているが、そのときの調査によって内堀は幅7m〜9m、深さ1.4m〜1.6mであったという。