詳細不明。有岡城主の荒木村重が織田信長に背いたことから、天正6年(1578年)織田氏はその支城である三田城を攻めた。このとき羽柴秀吉らが築いた陣城の一つと考えれるている。
宅原城は北へ伸びた丘陵に築かれている。現在は周辺が宅地化されてきているなか取り残される形で遺構が存在しているが、今後開発によって失われる可能性もある。
ややひろい土塁囲みの城で、北中央に内折れ土塁を伴う虎口があり、外側の北谷筋にも若干遺構がある。北虎口以外にも部分的に開口しているところがあるが、いずれも小規模で平入となり虎口か破壊なのかはっきりしない。
石碑は南端土塁付近の曲輪のなかにある。
駐車場はなく道もない。南東側の歩道には山に対するフェンスがなく、これをよじ登っていくことができる。
最寄り駅(直線距離)