応安2年・正平24年(1369年)山崎兵庫頭によって築かれたと云われる。 山崎氏は高島七頭の一人であるが、唯一西佐々木家の末裔ではなく、愛智氏系の一族である。
元亀年間(1570年〜1573年)山崎左馬介が城主のときに織田信長の軍勢との戦いで兵火により焼失し廃城、子孫は帰農し中村と姓を改めたという。
五番領城は現在の天満宮・信広寺付近に築かれていた。 天満宮は鬼門に鎮座した守護神で、「有満礼石」の伝説に領主山崎兵庫頭が記されている。
五番領村絵図などから東西60m、南北65m程の方形居館と推測されている。空堀は残っていないようであるが、個人宅の庭に築山として土塁が残されているという。