築城年代は定かではない。 明応年間(1492年〜1501年)の城主は松本勘解由であった。
明応9年(1500年)松本勘解由の兄である中野館の松本対馬が蘆名盛高によって攻め落とされ、対馬は勘解由を頼って綱取城に籠もった。盛高は綱取城に攻め寄せ弟勘解由は降伏、兄対馬は捕らえられて誅殺されたと云われる。
綱取城は北塩原村立第一中学校の東に聳える標高392mの要害山に築かれている。
綱取城の名は綱を取って登らなければならないほど急峻な岩山であったことに由来すると云われるが、現在は村指定史跡として登山道が整備されている。
綱取城は山頂の主郭から西へ伸びた尾根に曲輪を展開し、南の国道側は急峻な地形をそのまま利用し、北西側の谷間に向かって帯曲輪や横堀などを多段に配している。遺構の範囲は東西400m程の広範囲に拡がっているが、曲輪の規模は小さい。
主郭は土塁の付いた曲輪で一部内側が石積になり、中央に一段小高い土壇がある。北尾根には独立した曲輪群があり、北尾根からの攻撃を防ぐために堀切と横堀を設けている。登山道の登り口には大きな堀切で尾根を断ちきり、堀切はそのまま北側に伸びて横堀となっている。
第一中学校の東側の入口から登山道が付いており、入口に縄張図入りの案内板が設置されている。この道が幅広くなっているので駐車可能である。
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