築城年代は定かではない。延暦年間(782年〜806年)に坂上田村麻呂が菅原敬実を置いたのが始まりとされるが定かではない。
大永年間(1521年〜1528年)には中村氏か夫館として在城したが、黒木氏によって奪われた。
関ヶ原合戦で相馬氏は一度所領没収となり、慶長7年(1602年)領地を没収され居城であった牛越城を太田原氏に明け渡し三春城の蒲生郷成を頼った。 利胤は申し開きをするため江戸に上洛し家康・秀忠父子にお家再興を願いでた。これが聞き届けられ慶長8年(1603年)には大名に復帰し、このとき牛越城ではなく前の居城であった小高城を居城とした。その後、慶長16年(1611年)相馬利胤が中村城を近世城郭として改修し、中村藩の居城とした。以降代々続いて明治に至る。
相馬中村城は相馬市の中心部の西に隣接し、丘陵の東端に築かれている。健在は馬陵公園として整備されている。
中村城は中央にある本丸が一段小高くなった平山城で、本丸の周囲に内堀を巡らせ、外側を二の丸から取り巻き、さらに三の丸が巡る構造である。本丸には相馬神社、二の丸には野球場や神社、三の丸には宅地などが立ち並んでいるが、内堀、中堀、外濠と比較的良く残されており、現在も縄張りの大半を見ることができる。また、相馬の馬追の祭りでも有名なように西二の丸には馬が飼育されている。
外大手一ノ門(現存 城門)
東三の丸が無料駐車場になっている。近くの相馬市歴史資料収蔵庫・相馬市郷土蔵などに相馬氏の展示があり、時の鐘もここにある。
最寄り駅(直線距離)