築城年代は定かではない。 城主は大崎氏の家臣渋谷相模守と伝えられる。
天正16年(1588年)の伊達氏が大崎氏を攻めた大崎合戦では大崎氏の重要拠点となっていた。この合戦では大崎氏・伊達氏ともに縁戚で伊達氏に従っていた黒川晴氏が伊達氏を離反して大崎氏に味方し、桑折城へ入っている。黒川晴氏は中新田城を攻めて崩れた伊達氏の軍勢を追撃した。
桑折城は鳴瀬川南岸にあり、川に向かって張り出した丘陵に築かれている。 現在は館山公園として整備されている。
桑折城は館山公園となっている曲輪群と谷を挟んで東南東にある曲輪群で構成される。
主郭部は館山公園となっている部分で、川に面して東西に伸びる丘陵の東端頂部に主郭を置き、西へ伸びる尾根と北へ伸びる尾根に曲輪を配している。 西尾根の先端は階段状に連なる小段と浅い堀切によって区画される。西の頂部は展望台になっているが、その曲輪は東西両側を深い堀切で遮断し、東側は土橋が付いている。 土橋を渡った所が主郭で東西に長い削平地の東端部分が一段高くなっている。
谷を挟んで東にある曲輪群は主郭部とは尾根続きであるが独立している。この部分は西背後の尾根を堀切って尾根の先端部を独立させており、南端が高く北へ削平地が付いている。
三本木小学校・中学校の北側の県道157号線を東へ進んでいくと館山公園の大きな看板とともに駐車場がある。館山公園へは隣の三本木公民館の裏に入口がある。
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