寛永8年(1631年)茂庭良元によって築かれた。
千石城を居城とした茂庭良元は千石城三ノ丸に居住していたが、三ノ丸が手狭であったため、この上野館を築いた。当初は下屋敷と呼ばれ千石城と併用していたが、慶安4年(1651年)に良元は隠居して上野館に移った。家督を継いだ茂庭定元が替わって千石城三ノ丸へ入ったが、明暦3年(1657年)に上野館に移り、以後当主は代々上野館を居城とした。
上野館は千石城から谷を挟んだ北西に位置し、現在は松山高校の敷地となっている。
上野館は南北に長い方形の曲輪で周囲は土塁が巡り、南北に虎口がある。江戸時代の絵図には南の大手に鯱をのせた城門、北の搦め手には鯱のない城門が描かれている。南の御坂を下った所には「駒池」があり、その北側にある老人福祉センターの所が大成館跡である。
高校の敷地内は見学していないが、東側の正門脇に案内板がある。正門は屈折して入るようになっており、桝形であったのだろうか。北側の稲荷神社には茂庭氏を顕彰する石碑がある。
県道242号線を南下した所にある石雲寺と向かいの妙傳院に茂庭家の墓所がある。