築城年代は定かではないが佐原氏によって築かれたと云われる。 佐原氏は佐原十郎義連の孫、佐原五郎左衛門尉盛時を祖とする一族で、宝治元年(1247年)の頃に加納庄の地頭あるいは地頭代となったことに由来する。
応永9年(1402年)佐原氏は新宮城主新宮盛俊との戦いに敗れ滅亡している。
青山城は現在の日枝神社境内一帯に築かれている。 かつては東城と西城という二つの青山城があり、居館と詰城の関係であったと考えられているが、現在残っているのは西城(詰城)の部分である。
青山城は神社が祀られた中央部が一段小高くなり、そこを中心として北半分(北郭)と南半分(南郭)に分かれる珍しい縄張りとなっており、ともに土塁囲みで周囲に空堀が巡っていたようである。
中央の部分は主郭と呼ぶ程広くはなく、物見台のような位置づけであっただろうか。北郭は南郭より残存度が高く、周囲に土塁と空堀が巡り、北と西に虎口を開く。北の虎口は土橋が架かっている。南郭も周囲に土塁が巡るが、空堀が道路によって消滅しているのか南の参道沿いに土塁が二重になった部分があり、かつて空堀が巡っていた名残であろう。
県道335号線沿いにある日枝神社の南参道入口に案内板が設置されており、入口に駐車可能である。
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