詳細不明。文明年間(1469年〜1487年)頃の城主は岩佐勘解由と伝えられる。
城址に建つ石碑には「神上城跡 岡本氏」と刻まれているが、この岡本氏は城主であろうか?
神上城は目木川に余川が合流する地点の少し北にある鴻殖地区にあり、目木川に沿って西へ伸びた丘陵の先端に築かれている。
神上城は頂部に三つの曲輪を東西に並べた縄張りで、西端がやや高いが、ほぼ同じ高さの曲輪が並び、主郭は明確ではない。現在では中央の曲輪に石碑が建てられている。
西端の曲輪は中央北側に土壇があり、西に虎口を開いている。西下には一条の堀切があり、その両端は竪堀となっている。この竪堀を含め南側に畝状竪堀群が設けられている。
中央の曲輪は東西両側の曲輪との間に堀切を設け、北西側に小段がある。東の曲輪も東西両側を堀切で遮断した小郭になっている。ここから東の尾根に向かって平坦面が続いていくが堀切はなく、なだらかな自然地形が250m程続き、最後は山道らしきものと合流する。東の曲輪と隣接する辺りは人工的な削平と北側に帯曲輪状の地形が残るが、城内にはとりこんでいないようである。
南の山腹には石垣が組まれた集落があり、現状二件の民家があるがこの辺りが家臣団の屋敷跡だという。
城山の南側の谷間を東へ入って行くと途中折り返して山腹に上がっていく林道がある。この終点には墓地になっているが、そこから更に上に上がっていくと集落跡?がある。この奥からつづら折りの山道があり、途中で道は消えるが山上まではそれほど問題なく上がることができる。
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