美作 篠向城みまさか ささぶきじょう

城郭放浪記


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美作 篠向城の写真
掲載写真数
形態
山城(401m/250m)
別 名
篠葺城,篠向城,篠吹城,笹向城
文化財指定
なし/不明
遺 構
石垣,土塁,郭,堀,井戸
城 主
赤松氏,山名氏,三浦氏,毛利氏,宇喜多氏
歴 史

築城年代は定かではないが飯田氏によって築かれたと云われる。 太平記によれば、延文5年・正平15年(1360年)山名時氏・師義父子は南朝側に付いて美作に侵攻した。このとき篠向の城には飯田一族が籠もっていたが降伏した。

文亀年間(1501年〜1504年)には山名右近亮が篠向城主であったが、高田城主三浦貞連によって攻められ討ち取られた。貞連は家臣の福島氏や金田氏に在番を命じたという。

天正4年(1576年)三浦氏は毛利輝元によって滅ぼされ、高田城は毛利氏、篠向城は宇喜多氏の所領となった。

天正7年(1579年)毛利氏は織田氏と結んだ宇喜多氏と決裂すると、吉川元春に命じて宇喜多の諸城を攻めさせた。この時、大寺畑城、小寺畑城に籠もっていた宇喜多氏の家臣江原兵庫親次は天正8年(1580年)城を明け渡して篠向城に移った。しかし、翌天正9年(1581年)には篠向城も明け渡して退去した。天正12年(1584年)毛利氏と羽柴氏との講和が成り、美作国は宇喜多氏の所領となると再び江原親次が城主となったが、親次は文禄元年(1592年)豊臣秀吉の朝鮮出兵に従軍して病死する。これによって篠向城は廃城となったといわれる。

説 明

篠向城は旭川に目木川が合流する地点の東側に聳える標高419mの笹向山山頂に築かれている。現在、本丸、二の丸、三の丸一帯が無線中継施設によって一部破壊されているものの、全体の遺構は良く残っている。2006年11月に訪れた際には案内板なども荒廃していたが、今回再訪してみるときれいになった案内板が設置されていた。

主郭は山頂にあって南北二段の広い曲輪である。四方に腰曲輪が配され、特に南西下の腰曲輪は土塁を設け、中腹に畝状竪堀群を配している。

主郭の西にあるのが二の丸でここは無線中継施設があり、北側に土塁の一部が残るのみである。

二の丸の西にあるのが三の丸で、南北二段で北端はコの字に土塁を設けている。この三の丸の西側山腹一帯には無数の畝状竪堀群が良好に残されており、状態にある畝状竪堀群の中で一番見やすくなっている。

案 内

大庭地区から林道が頂上付近まで通じており、車で登ることができる。

最寄り駅(直線距離)
2.1km 古見駅
3.2km 久世駅
4.3km 美作追分駅
4.7km 美作落合駅
7.4km 中国勝山駅
所在地/地図
岡山県真庭市三崎(笹向山)
付近の城(直線距離)
1.7km 美作 目木構
2.5km 美作 鳥越山城(古見)
2.7km 美作 月沢城
2.7km 美作 砥石山城
2.8km 美作 持家城
3.0km 美作 茶臼山城(三阪)
3.1km 美作 久世陣屋
3.4km 美作 城山城(樫東)
3.6km 美作 羽庭城
3.7km 美作 田楽城
3.7km 美作 宮山城(高屋)
3.9km 美作 高山城(下河内)
4.0km 美作 野田屋敷
4.0km 美作 金砕山城
4.2km 美作 神上城
4.3km 美作 城山城(上市瀬)
4.5km 美作 小寺畑城
4.8km 美作 柿ノ木ノ上砦
4.8km 美作 逆巻城
4.8km 美作 陣山城(久世)
4.9km 美作 大寺畑城
4.9km 美作 石蕨砦
5.3km 美作 土器尾城
5.4km 美作 往還ノ上砦
最終訪問日
2011年4月
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