詳細不明。『作陽誌』では神林寺の僧徒が篠向城の城主との戦いに陣したところという。
金砕山城は標高546.7mの山に築かれており、篠向城とは旭川を挟んで向かい合う。
東西に長い山頂部に曲輪群が築かれているが、全体的に削平は甘く自然地形を多く残す。
主郭部となるのは三角点のある東側のピークで、この山頂を中心に小さな段分けされた曲輪群が東側に伸びている。一方西側は曲輪IIのあたりが多少段造成されているが、その間は自然尾根に近い。
曲輪IIは北から西にかけて畝状竪堀群6がある。南尾根は現状堀切になっていないが、堀切7で遮断していた可能性が高い。
曲輪群IとIIの間には堀切3、4があり、堀切4の北側の堀はそのまま側面まで伸びて二条の竪堀群5に繋がる。
主郭Iから南へ伸びる尾根の段造成は甘く、西側は特に緩斜面のままであるが、南側面には畝状竪堀群2がある。この竪堀群の間に堀底状の山道が続いており、入口は左折れで虎口状になっている。
主郭から東へ伸びた尾根は堀はなく、南の堀切1の脇から登っている山道が回り込んで、東の帯曲輪に接続している。
西の鞍部のところに茸山であるため入山禁止の案内がある。令和2年だと10月1日から11月20までとなっているので、この時期には入山しないほうが良い。
登山道はいくつかあるようだが、西の神林寺から尾根伝いにアクセスした。大半は堀底道状になっているが、尾根分岐がいくつかあり道標などは一切ないので、GPSを活用しながら訪れるほうがよい。
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