詳細不明。
天文年間(1532年〜1555年)に尼子の武将上井手六衛門が築き、その後高田城主の三浦氏に従って天正年間(1573年〜1592年)まで在城したという。また、牧家信の属城で天正8年(1580年)に落城したともいう。
大壇城は下谷川と寺谷川との間を南西方向へ伸びた丘陵の先端頂部に築かれている。
単郭の城で、山頂に主郭があり北東側に一段馬蹄形の段が付いている。その下は大きな堀切になっているが、現在は作業林道によりやや破壊されている。
この城の縄張図が「美作国の山城」に掲載されており、それによれば主郭は土塁が巡り、南と西に伸びた尾根に階段状の曲輪が描かれている。しかし、現状では主郭には明確な土塁はなく、南及び西へ伸びる尾根も自然地形で曲輪にはなっていない。また、「おかやま全県統合型gis」には「主郭と北西の小尾根に小規模な郭を配置」とあるが、北西側は作業林道により大きく改変されていて確認できない。
山久世にある密乗寺の前から作業林道が付けられている。
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