築城年代は定かではないが永禄年間(1558年~1570年)頃に後藤善心によって築かれたと云われる。
永禄5年(1562年)武田方に属していた後藤善心は今川氏真の命を受けた渡辺平内次によって居城であった白鳥山城を攻め落とされた。その後、築いた城が津具城と云われている。
後藤氏は今川氏が没落すると再び武田氏に属していたが、永禄12年(1569年)徳川家康方の作手奥平貞能、名倉奥平信光らによって攻められ落城、善心と長男次男は討死、三男は信濃に逃れたという。
津具城は津具川の北岸にある標高770mの山に築かれており、現在は見学路が整備されている。
主郭は山頂にあり、北端に虎口があって北下の曲輪IIに通じる。曲輪IIは東側に土塁があって虎口を開き、そこから横堀になった堀切3に通じそのまま竪堀となって落ちている。一方曲輪IIの西側は竪堀7があるが、この起点となるAの部分は二つの土塁によって左折れの虎口のようにも見える。
主郭から伸びる尾根をそれぞれ堀切で遮断しているにも関わらず、西尾根部分のみ遮断しておらず、こちらが大手筋と考えられる。曲輪Vは北と南に竪堀5、6があり、その北側にある曲輪IVは堀切4方面に傾斜し、堀切4との境がなく通路状になっている。ここから堀切3の尾根に回り込み、曲輪IIの東虎口に入るルートが想定できるだろう。もう一つは曲輪Vから竪堀7を経由して曲輪IIに入るルートも考えられる。
山の東側の谷を入る未舗装町道があり、その先に駐車スペースが用意されている。ここから未舗装路を歩いて北の鞍部まで登って行くルートが設置されている。