築城年代は定かではないが正平年間(1346年〜1370年)に川上兵衛則秋によって築かれたと云われる。
南北朝時代に玉置氏によって山崎城は落城し領地を追われ、その後は玉置氏が手取城を築いてこの辺りを支配した。
山崎城は和佐駅の東側にある丘陵に築かれていた。 「日本城郭大系」によれば、城跡には二段の曲輪が残されているだけで、案内板がなければ城跡とは思えない程であるという。
「和歌山県中世城館跡分布調査報告書」で城跡とされている部分は現状では荒れ地で、特に案内板のようなものも周辺には見あたらず、正確な位置はよく分からない。