詳細不明。手取城玉置氏の一族で「北代官」と呼ばれた野口殿こと玉置義為が野尻ヶ丘に築いたとされる城がこの野口城と考えられている。
野口城は県道25号線西側の微高地に築かれていたが、農地改修によって消滅しており遺構はない。 かつて城跡に建立されていたという石碑が県道の拡張工事によって南側に移されて残っている。
「和歌山県中世城館跡分布調査報告書」に掲載されている図面によれば、土塁と空堀で囲まれた、方形居館で東西南北がずれて北に角を持ち、南東側に虎口があったようである。
御坊icの西、県道25号線の熊野交差点から100m程西、南の歩道に石碑がある。
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