築城年代は定かではない。
大永2年(1522年)阿波の三好義長が由良に上陸して小坊子城を築き、畠山氏と戦い勝利した。入山城はこの時に小坊子城の支城として築かれたと考えられる。義長は子息の三好義継を小坊子城に置いて阿波へ引き上げたが、畠山氏と湯川氏が結んで小坊子城を落としており、入山城は湯川氏の支配に置かれたと推測されている。
戦国時代には青木勘兵衛由定の居城となっており、秀吉に属して三好氏との戦いに功があったとも伝えられるが、不明な点も多い。入山城は北の城山と南の本丸という二つの城郭が同じ丘陵に存在していることから、歴史が混同されて伝えられているようである。
入山城(城山)は西川に沿って南北に伸びた独立丘陵のほぼ中央、標高76.0mの山頂に築かれている。
最高所に築かれた主郭として南、西、北に腰曲輪を配している。主郭は周囲に土塁が巡るが南が高く他の三方は低いものである。
この曲輪群を取り巻くように二重の帯曲輪があり、上段は土塁が付いて横堀状になる。北に虎口があり、上段東側は竪土塁、下段は竪堀で東側への移動を阻止している。 南尾根は三重の堀切で遮断しており、そこから南へ続く尾根は自然地形で城外である。 この南北に伸びた丘陵の西側に馬場と呼ばれる南北に長い平段が続いている。
この城山の入口にある三寳寺は亀山城主湯川直光の菩提寺で、「湯川直光の墓」と題された案内板があるが、近くに墓碑が見あたらない。上にある古い墓碑がそうであろうか。
城山の西麓にある美浜公民館入山分館の前に案内板がある。そこから登った山の上に三宝寺があり、山門脇の墓地の上から北に山道が付いている。
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