築城年代は定かではない。 天文元年(1532年)中津森館の小山田越中守信有が居城を谷村に移しており、その所在地は明確ではないが、この谷村城の辺りと見られている。
天正10年(1582年)小山田滅亡後、北条氏が郡内地方を制圧したが、徳川氏との争いの後、徳川家臣鳥居元忠が郡内領主となった。天正18年(1590年)豊臣秀吉により小田原征伐で北条氏は滅亡し、徳川家康が関東に移封となると、鳥居元忠は下総国矢作に移った。
その後は、甲府城に入った豊臣秀吉の重臣の家臣が谷村に入り支配した。関ヶ原合戦後は再び鳥居氏が入部して谷村藩となったが、秋元氏の後に天領となり、谷村城は廃城となって谷村陣屋が設けられた。
和暦(西暦) | 事象 |
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天正18年(1590年) | 羽柴秀勝の家臣三輪近家が入封。 |
天正19年(1591年) | 加藤光泰の家臣加藤左内光吉が入封。 |
文禄2年(1593年) | 浅野長政の家臣浅野氏重が入封。 |
慶長6年(1601年) | 鳥居成次が一万八千石で入封。 |
元和3年(1617年) | 鳥居成次は徳川忠長の家老となり加増され、三万五千石を領す。 |
寛永9年(1632年) | 鳥居忠房は駿河大納言徳川忠長の改易に連座して改易となり、山形藩主鳥居忠恒預かりとなる。 |
寛永10年(1633年) | 上野国総社より秋元泰朝が一万八千石で入封。 |
宝永元年年(1704年) | 秋元喬知(朝)のとき武蔵国川越に転封。 以後、谷村藩は廃藩となり、天領として谷村陣屋が置かれた。 |
谷村城は現在の谷村第一小学校や都留市役所一帯に築かれていた。 勝山城を詰城として一体となった城であったとみられ、秋元氏時代に描かれた甲州谷村城絵図にも谷村城の背後に勝山城が描かれており、内橋で繋がっている。
現在は明瞭な遺構は残っていない。市役所内に案内板が設置されている他、役場の入口に近い小学校の校庭隅に石碑が建っている。