築城年代は定かではない。境と倉見の領主、小山田弾正の屋敷があったと云われる。
天文4年(1535年)駿河の今川氏輝は甲斐の武田信虎と対立する国人衆を支援する為に、甲斐へ侵攻し都留郡山中で武田信虎と戦った。さらに今川氏を支援する北条氏綱が大軍を率いて都留郡に侵攻、武田方は信虎の弟勝沼館主勝沼信友の率いる軍勢がこれに対抗し、小山田弾正もこれに従って戦ったが敗れ、信友とともに討死したという。
天正2年(1574年)の境天神棟札には倉見・境の主平朝臣有誠とあり、小山田弾正有誠であったことが知られる。
境館は桂川南岸の境地区にあったという。方形居館であったようだが現在は宅地や畑となって遺構はない。