詳細不明。 「甲斐国志」に「頂を鐘撞堂と云う、(中略)、陣金を懸け急を谷村へ告げ又西は吉田・船津へ告げしなるべし」とあるように烽火台とみられていた。
古渡城山の烽火台は鹿留川に面した比高50m程の丘陵に築かれている。鹿留川が天然の堀として西下から北側を流れている。
古渡城山は川に面してl字状になった丘陵全体に築かれていた。北端頂部にある住吉神社付近が主郭と見られる。南尾根に堀切があり、その南には広い曲輪と土塁状の土盛りがある。
城山の南側にある宅地の脇から参道が続いている。
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