築城年代は定かではない。上野城主大井氏の城である。
武田氏一族である大井信達は大きな勢力を持ち、武田信虎に反抗して度々戦ったが、永正14年(1517年)今川氏と武田氏との和睦もあり大井氏も武田氏に従った。このとき大井信達の娘が信虎の正室となり、後に生まれた子が武田信玄である。
大永元年(1521年)今川の武将福島正成が一万五千の大軍を率いて甲斐へ侵攻、このとき富田城は落城したという。その後、今川の軍勢は甲府へ乱入したが福島正成が討死すると富田城へ帰陣、年を越して駿河に引き上げたという。
富田城の正確な位置は分かっていない。国道52号線(甲西道路)の東側に小公園があり、ここに「富田城顕彰之碑」がある。この碑文には「富田城趾 此の南東540米」とあり、現在は滝沢川西の工場地帯である。