築城年代は定かではない。武田信玄の弟信龍は信玄の命によって甲斐源氏一族の一条氏の名跡を継いだ。信龍の嫡男は信就で、天正8(1580年)年9月以前に家督を継いでいる。
天正10年(1582年)穴山信君が徳川氏の軍勢を先導して市川口から甲斐へ乱入すると、上野城は降伏開城し、信就は成敗された。また信龍はこのとき一緒に成敗されたとも、すでに没していたとも云われ不明である。
一条氏館は現在の蹴裂神社の辺りに築かれていたと云われる。遺構はなく境内に上野城の碑と一条右衛門信龍の祠があるだけであるが、南側には天守を模した歌舞伎文化公園ふるさと会館がある。