築城年代は定かではない。天文12年(1543年)周防の大内義隆が尼子氏の本城月山富田城を攻めたときに京羅木山に布陣している。しかし、この戦いは出雲国人衆が尼子方に寝返った為、大内氏は敗走した。
永禄年間(1558年〜1570年)には毛利元就が出雲へ侵攻、京羅木山城砦群とも呼ばれるように月山富田城の向かいにある京羅木山一帯に陣城を構え、永禄8年から永禄9年(1565年〜1566年)の約二年にわたって富田城を包囲した。
京羅木山城aは京羅木山城砦群のひとつで、京羅木山山頂に築かれている。 京羅木山城砦群は北東500m程の所に京羅木山城b、そこから南へ伸びた尾根に京羅木山城cから成る。また、南東の勝山城、南の三笠山城なども毛利方の陣城であった。
京羅木山城aは他の城砦群に比べ遺構が乏しく、三角点のある山頂部は観音像などがたてられており、この辺りは緩斜面となっている。南西側に200m程離れた小ピークには段遺構が残されている。
京羅木山山頂への登山道は各方面から付いているが、一般的な登山道は北側の出雲金刀比羅宮から登るルートである。
今回登ったルートは南東麓の石原集落から勝山城を経て、京羅木山城c,京羅木山城bを経て登るルートである。
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