築城年代は定かではないが室町時代に尼子国久によって築かれたと云われる。 国久は尼子経久の次男で、新宮谷に居住したことによって国久一族は新宮党と呼ばれた。
国久とその子誠久・敬久は尼子家臣団の中において中心的な地位を占めていた。天文23年(1554年)尼子晴久はこの新宮党を突如粛清した。この晴久の新宮党粛清に関しては毛利元就の陰謀説があるが、それを示す明確な史料はないようである。
新宮党館は尼子氏の居城である富田城の北東に位置する新宮谷にあり、川に面した高台に築かれている。現在は県指定史跡となり、その一画に新宮党一族を祀った太夫神社が鎮座している。
居館はただ広い段が残されているだけだが、神社の脇にある石塔群は国久・誠久・敬久の墓と伝えられている。
道の駅「広瀬富田城」から川沿いに北上し、新宮橋南詰めから東へ入り、道沿いに東進する。途中に新宮谷の史跡案内板があり、北側の谷を奥へ進んでいくと新宮党館跡の標識が出ている。
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