三笠山城は標高236mの三笠山山頂に築かれている。飯梨川を挟んだ東側には尼子氏の居城である月山富田城があり、山中鹿之介が三日月に向かって「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と祈った逸話は有名であるが、この三日月はこの三笠山にかかる月であったと云われている。
三笠山城は山頂から東へ伸びた尾根に階段状に段を連ねる縄張りで、直線距離にして350m程続いている。東端から南東に伸びる辺りに出丸のような曲輪が残る。
主郭は山頂一帯で、わずかに西へ伸びる尾根に浅い堀切があるものの、西尾根からの攻撃には全くといって良いほど無防備である。対して東へ伸びる尾根には堀切はないが、階段状の細かい段が幾重にも付けられ、富田城の支城というよりは、むしろ富田城攻めに際して活用された向城の意味合いが強いものと思われる。
東尾根の標高150mから120m付近はなだらかな地形が続き、東端から南へ伸びる尾根の先端でちょうど嘉羅久利神社の西上辺りに二条の堀切によって遮断された出丸のような曲輪が残る。
踏み跡程度の山道が付いている。嘉羅久利神社の脇から広瀬運動公園に沿って南下する林道?があり、それを歩いて体育館の横までいくと山側は谷間になっている。よく見ると谷間に入っていく道があるのでそれを入る。谷に入ると直ぐに直進と右に道が分かれるが、右の道を尾根上に登ると出丸。あとは尾根に沿って登っていく。
最寄り駅(直線距離)