築城年代は定かではないが南北朝時代に日根野氏によって築かれたと云われる。
南北朝時代に北朝方の日根野盛治が築いて籠もったが、南朝方の橋本正高らによって落城し、その後は南朝方の橋本正高らが雨山城に籠もっていたという。
土丸城は雨山の南西にある標高287mの山に築かれており、現在は登山道が整備されている。
土丸城は山頂の主郭を中心に東、西、北西の三方の尾根に曲輪を配している。西尾根には堀切が一条あり、二段の腰曲輪がある。北西尾根も一条の堀切があり、そこからやや降った所に物見とされる曲輪群があり、現在も展望所となっている。東尾根の曲輪が最も広く、雨山城方面に繋がる尾根で、この部分に「武者隠し」と呼ばれる遺構がある。形状としては主郭下の堀切のような形であるが、その先が曲輪となっている為に横堀あるいは胸壁土塁のようになっている。
雨山城から道がある。
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