康安元年・正平16年(1361年)頃に畠山氏によって築かれたと云われる。
畠山国清は関東武士と対立して足利基氏に追放されると領国の伊豆に下り、三津、金山、修善寺の三ヶ所に城を築いて楯籠もったが、基氏方の討伐軍によって三津城、金山城が陥落、修善寺城で最後の抵抗を試みたが、守り切れずに降伏した。
三津城は発端丈山に築かれていた。
発端丈山山頂から北へ伸びる2つの小ピークに若干の遺構が確認できる。
最高所となる発端丈山山頂部は芝生のような短い草が生え、なだらかな緩斜面が拡がり富士山もよく見え眺望が開けている。何も知らなければここが城跡だという認識にはならないほど自然地形である。
山頂から東と南に伸びた尾根には若干削平された小さな段が確認できる。南尾根はこの下方に堀切1があり、東尾根にも浅い堀切2のような地形が確認できる。
一つ北のピークは最高所に浅い溝が確認できるが、何に伴う地形なのか不明。
いくつかの発端丈山ハイキングコースが整備されている。 西麓の住本寺脇から登り、北の内浦地区センター側に降りるルートで歩いた。
最寄り駅(直線距離)