文正元年(1466年)大村家徳によって築かれたと云われる。 藤津の大村氏は小城の千葉氏と度々争っており、この千葉氏に備えるために蟻尾城は築かれた。
文明9年(1477年)千葉胤朝は内田某を藤津に派遣して大村氏を攻め、これによって蟻尾城は落城、大村日向守家親は能古見の本城(山浦城か)を目指して落ちていった。
蟻尾城は蟻尾山公園の背後に聳える標高192mの山頂に築かれている。現在は蟻尾山公園から登山道が整備されている。
蟻尾城は山頂から東へ伸びた尾根に広大な曲輪を展開している。東西約300m程の規模であるが、この間には一条の堀切すらなく、多少の段差がある程度で広大な一つの曲輪となっている。曲輪の周囲には石積が多く点在している。
主郭となる部分はやや小高くなり南に土塁がある。南西側の尾根は堀切ではなく、南に三条の竪堀があるのみで、完全に尾根を遮断していない。
尾根の東端部には「豊前坊」と呼ばれる一段高くなった基壇があり、櫓台のようである。この東端尾根は蜜柑畑などがあるため遺構の確認が難しいが、放射線状の竪堀が残っている。
蟻尾山公園の展望台の入口となる部分に縄張図入りの案内板が設置されており、付近に駐車場がある。展望台から主郭へは道がないので、その案内にしたがって登山道を登るのが良いだろう。
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