築城年代は定かではないが鎌倉時代に高部景義によって築かれたと云われる。 景義は七代佐竹義胤の五男で高部五郎景義としてこの地を領したという。
その後の動向は詳らかではないが美和村の諏訪神社の神官として高部氏が続いていたという。
高部城は常陸大宮市美和総合支所の北方に聳える標高290m程の山に築かれている。現在は登山道などが整備されており見学し易い。
山頂部に広い主郭Iと副郭IIがあり、その周囲に帯曲輪や腰曲輪を備えている。東側は急坂のため防御遺構は少なく、西側を横堀で囲繞、南の尾根先端を堀切で遮断する構造で、西側面には竪堀も設けている。
主郭Iは城内で最も広い曲輪で削平も丁寧、北端には土塁があり東が北に張り出している。主郭の北に曲輪IIがあり主郭に次ぐ広さがあるが、北に向かってやや傾斜する。主郭Iとの間に浅い溝があり堀との解釈もあるが、帯曲輪IIIからこの堀底道を通り、東端から主郭I、副郭IIに入る構造で虎口と考えられる。
大手は不明ながら西尾根から横堀5に入り、Aのあたりに木橋などで登るような経路を想定したい。
南東の県道交差点から北へ少し進んだ西側に駐車場があり奥に案内板が設置されている。登山道はその北側にある標柱から民家と墓地の間を抜けて登って行くルートが整備されている。
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