詳細不明。牛久城主岡見氏の城と考えられている。『小田家風紀』に岡見備中守の名が城主として記されているという。
小坂城は小野川の北岸にある微丘陵地の南端に築かれている。南側が道路工事によって消滅しているものの、現在は公園として良く整備されている。
現在確認できる曲輪は主郭IからIVまでの4つである。
主郭は台地の南端に位置し現在残されている部分は高土塁が巡る。南側は削られて消滅しているが、『牛久市史』を参考にすると横堀がそのまま南へ回り込み南端は堀は接続せず開口していたようである。
主郭は東側に虎口1を開き木橋で曲輪IIとつながっていたことが想定されるが、北に張り出し櫓台はこの虎口に関係なく横矢は架からない。
曲輪IIは主郭の東から北側を覆うように伸びており、東から北にかけて土塁が巡る。虎口は北中央にある虎口2で、土橋で曲輪IIIと接続する。この虎口も平入で土塁は西側が内側に折れているが、土橋に横矢をかけるような張り出しは見当たらない。
曲輪IIの西側は土橋と人一人が通れるくらいの幅で西に伸び、西端A地点がやや拡がる。この位置は主郭の西端部分と一致するが、もしここに木橋を架けて出入りできるのであれば、主郭北の櫓台が木橋や細長く伸びる二郭に対して有効な火点として機能する。ただ現状では主郭側の土塁が開口しておらず、虎口として機能していたような痕跡は見当たらない。
曲輪IIIはほぼ正方形の曲輪で四方に土塁が巡るのが特徴である。南中央の虎口2で曲輪IIと土橋で接続、東中央の虎口3で曲輪IVと木橋で接続していたと考えられる。北東隅が開口しており、公園化の影響かと思ったが、『牛久市史』を参照するとかつては外側に土橋が架かっていたようである。
曲輪IVは最も小さい曲輪で北から東にかけて土塁が残る。西側は虎口3で曲輪IIIと接続していたようであるが、外側への虎口は確認できない。『牛久市史』によればこの曲輪の北側にも横堀が回っていたようである。
城跡の西側に公園の駐車場があるがトイレはない。
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