詳細不明。真崎氏の居城と伝えられる。
真崎氏は鎌倉時代に佐竹義重の子義澄の子義連が真崎氏を称したことに始まるとされるが詳らかではない。
近世初期には佐竹義宣に仕えた真崎義伊がいる。
真崎城は半島状に細長く伸びた天神山の先端に築かれている。
三角点のある天神山は茨城県で最も低い山(17.4m)として看板が掲げてあるが、城域はこれより東側になる。
大きな堀切で尾根を遮断して曲輪を連ねる構造であるが、畑になっていたこともあって埋められてしまった堀もあるようだ。南端部分には「館岸」の地名が残り船着き場があったことが想定されている。
堀切のところに登口とありそこから登っていける。駐車場はないが道路脇に駐められる。
最寄り駅(直線距離)