築城年代は定かではない。
天文年間(1532年〜1555年)には岡本頼春が城主であった。頼春は上村長国の子で岡本地頭となったことから岡本氏を称していたが、天文21年(1552年)あるいは天文19年に上村城主の上村頼興によって謀殺された。
岡本頼春を討った上村頼興は子の稲留左近太夫長蔵を岡本地頭として岡本城主に据えた。弘治3年(1557年)長蔵は実兄の上村頼孝・頼堅と相良義陽に謀叛を起こしたが、義陽によって攻められ岡本城は落城、長蔵は日向国へと逃れた。
天正8年(1580年)には岡本頼春の嫡男東駿河守頼兼が岡本地頭として岡本城主となった。江戸時代の寛永3年(1626年)には相良家の重臣であった相良清兵衛の隠居所となり、麓に城下町を整備した。
岡本城は岡麓の南背後に聳える標高260m程の山に築かれている。現在山頂まで登山道が整備されている。
岡本城は標高260mの山頂から北へ伸びた尾根に曲輪を配しており、北端は麓近くの諏訪神社まで続く。この山はかつて公園として整備されていたようであるが、現在はほとんど整備されることがないようで、辛うじて山頂に通じる道のみが残されている。山頂は荒れ放題で藪化し、遺構を探るのは非常に困難な状況である。
主郭は一段小高くなった曲輪で南背後に一条堀切があり、西下に曲輪がある。ここから北へ伸びる尾根に段々と平段が続き、二の丸とされる部分の南背後は二重堀切になっている。ここからさらに降って諏訪神社の辺りが三の丸とされ、神社背後に堀切、神社境内の下の段に広い曲輪がある。
神社境内には相良清兵衛の墓碑がある。
諏訪神社まで車で行くことができる。もしくは公民館に車を駐める事ができる。登山道は神社境内脇からそのまま背後の尾根に登っていく道があり、それをたどれば山頂に至る。
最寄り駅(直線距離)