築城年代は定かではない。永禄2年(1559年)以前に東直政が居城しており、同年に獺野原の合戦で討死した後は東能登が城主であったという。
文禄3年(1594年)竹下(深水)監物は相良長毎が朝鮮に出兵中に犬童氏を滅ぼそうとして失敗し、湯前城に籠もって抵抗したが相良長毎の命によって切腹した。
相良氏の人吉城の支城として重要視され、慶長9年(1604年)には普門寺が湯前城へ移されたことが記録にある。
湯前城は球磨川と都川との間に西へ伸びた台地の西端、現在の市房山神宮里宮神社の境内に築かれていた。
主郭部は神社の境内やその北側にあった普門寺跡であるが見るべき所はない。明瞭な城郭遺構は東側に続く尾根を遮断する巨大な空堀で、南北におおよそ200mの規模で一直線に断ち切っている。空堀は間に土塁があって上下二段になっている。
神社の駐車場があり、境内の鳥居の脇に案内板がある。
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