築城年代は定かではない。伝承では建久年間(1190年〜1199年)に豊富の地頭であった久米三郎が城主とされる。
永禄2年(1559年)獺野原の合戦で湯前城とともに久米城も落城しており、この時の城主は久米の地頭であった東加賀と推測されている。
久米城は久米熊野座神社の背後に聳える標高273.9mの山に築かれている。
主郭は山頂にあり東西に長い曲輪で公園化されていて東へ続く尾根は林道によって破壊されている。主郭から北西、西、南へ続く尾根に腰曲輪が段々と付いているが、西尾根の曲輪がやや広い程度で、どれも小さく削平も不十分なものが多い。
主郭の東背後は竪堀が二条東西に残っており、もともとは二重堀切であったようだ。南山腹には小さな横堀のも確認でき、南尾根にも横堀が残る。
熊野座神社から登りはじめたすぐその脇、北西尾根の麓に三重堀切がある。この堀切の最上段は横堀となって南へ続いており、その先は帯曲輪状になっているが、これをさらに南へ進んでいくと、東西二段の大きな横堀があり最大の見所である。
熊野座神社に駐車可能で、そこから山頂まで道が付いている。
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