築城年代は定かではないが上村氏によって築かれたと云われる。 上村氏は人吉相良氏初代相良長頼の四男頼村を祖とする。
上村氏は頼村から頼武、頼綱、隆頼、長房、頼継、頼国、頼威、運重、高頼、直頼、頼兼、頼興、頼孝、頼辰、長陸と16代続いた相良氏の有力庶家で、13代頼興は本家の相良家を継いだ相良晴広の実父である。頼興は実弟の上村長種を謀殺、岡本城主岡本頼春も謀殺して四男稲留長蔵を送り込むなど謀略を尽くした。
上村城は麓集落の南、谷水薬師寺の西に聳える標高270m程の山に築かれている。現在は谷水薬師寺から遊歩道が設置されており、紅葉の名勝として著名である。
主郭部は山頂にある曲輪I、IIでどちらが主郭かはっきりしないが、中央部分で土塁が途切れ東西に出入りできるようになっている。
南背後を遮断する堀切は三重の大堀切になっており、西側に竪堀として谷下まで伸びている。一方東側は畝状竪堀群3や堀切4、5、竪堀群6など竪堀と堀切を細かく設けている。
谷水薬師側から登ってくる遊歩道沿いには畝状竪堀群8や、遊歩道によって一部破損しているが堀切7がある。また東の谷に伸びる支尾根には堀切9、10、11、堀切14など執拗に遮断してある。
主郭部から北へ伸びる尾根は小規模な堀切12、13を経て麓に向かって段曲輪が続き曲輪Vが最大の広さを誇る。北東へ伸びた尾根に二重堀切15が確認できる。西側は集落と行き来できる大手口のような遺構があり、橋は架かっていないが、川を渡ってここに入るようにいまでもなっている。
東麓の谷水薬師寺は上村氏の菩提寺で参道脇に上村氏の墓がある。
谷水薬師寺の駐車場があり、薬師寺の脇から城跡へ続く遊歩道がある。
最寄り駅(直線距離)