築城年代は定かではないが平安時代末期に平河義高によって築かれたと云われる。
平河義高が相良氏に討たれた後は窪田氏が城主となり、窪田氏没落後は犬童氏が城代となったという。また肥後国誌によれば久保田大蔵、新宮伊予守が城主とある。
城は球磨川の北にある独立丘陵に築かれている。丘陵は南北に二つの小山があり北の木本神社の建つ地が木本城(このもとじょう)、南の丘陵を前城(まえんじょう)と呼び区別している。
南の丘陵の入口に窪田越後の墓があると道標が出ているが見付けることができなかった。
県道33号線沿いの木上小学校の前に県道がy字に別れるが、その東の集落内の岩城公民館付近に標柱が建っている。そこから集落内を東へ進んで行くと木本神社に達する。
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