築城年代は定かではないが南北朝時代には築かれていた。
暦応2年(1339年)北朝方の得江頼員らが浅宇津を攻めた時、南朝方が蕗野寺城、二岡城から出撃してきて合戦が起こったことが「得江文書」に残されており、これが蕗野寺城の初見となる。
蕗野寺城は標高202mの城山に築かれており、現在は登山道が整備されている。
城山山頂を中心として東西に伸びる尾根、約700mほどの範囲に遺構が点在しており、規模は大きいが、基本的に堀切による遮断のみで、曲輪の造成は甘く、南北朝期の遺構がそのまま残されているようである。
最高所は三角点のあるところでここが主郭と考えられるが、削平は甘く小さな土壇が中央に残されている。比較的まとまった削平地は西尾根を降った先にあり、この曲輪の西側にある堀切が西端となる。
山頂から東へ続く尾根にも中屋敷と書かれた曲輪などがあるが、堀切との間は自然地形に近い。東尾根側には幅広で仕切り土塁のある二重堀切があり、中央が登山道になっているため不明瞭ではあるが、仕切り土塁が南北でやや食い違っている。
登山口はいくつかあるが、東の足羽高校側の登山口がわかりやすい。北側のライフル射撃場の入口にある駐車場が利用できる。
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