越中 楡原館えっちゅう にれはらやかた
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詳細不明。戦国時代の能登守護職畠山義綱(義則)が永禄12年(1569年)頃に住んでいたと伝えられる。
楡原館は楡原八幡神社の北側一帯に築かれていたという。
神社の北側に伝畠山重忠の墓があり、五輪塔と宝篋印塔の一部が祀られている。この辺りが「舘」と呼ばれており、楡原館跡であるが、現在は田畑などになっている。