築城年代は定かではないが天正年間(1573年〜1592年)に安食大和守光信(あじきあきのぶ)によって築かれたと云われる。
安食光信は『義光分限帳』に「元成澤城主、高五千石」とある。光信は元和3年(1617年)に没している。その後の元和8年(1622年)に最上氏が改易となっており、このときに廃城となった。光信の子の一人安食七兵衛信重は改易後、常陸国水戸藩徳川氏に仕えている。
土生田楯は大宮神社のある西に伸びた丘陵一帯に築かれていた。土生田楯山を詰城とした館城で、かつて山麓には東を除く三方に堀が巡らされていたという。東へ伸びた尾根は大堀切で断ち切っていたというが、現在は車道が通っている。
西側の参道入口に土生田居館の案内板が建っている。
最寄り駅(直線距離)